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脳梗塞コラム

第6回 脳梗塞の一種=小脳梗塞と梗塞後出血から生還した
横浜銀蝿のリーダー、嵐ヨシユキさん

[2012.04.20.]

思いもしなかった小脳梗塞後の出血で緊急手術

横浜銀蝿(よこはまぎんばえ)といえば1980年代、「ツッパリHigh School Rock'n Roll(登校編/試験編)」や「お前サラサラサーファー・ガールおいらテカテカロックンローラー」などの曲で、若者のやんちゃな気持ちをギュッとつかんだロックバンド。そのリーダー・嵐(らん)ヨシユキさんが、日本医科大学武蔵小杉病院で小脳梗塞後出血の緊急手術を受け、九死に一生を得たのはいまから8年前の2004年4月26日、49歳のときのことです。

「最初に小脳梗塞(脳梗塞の一種)の発作に襲われたのは、手術の日から3日前の4月23日。翌24日に2回目の発作に襲われ、1日置いて詰まったところの血管がさらに破れて梗塞後出血を引き起こしたのです」

嵐さんは当時のことを静かにこう回想します。2回目の発作から2日も経たないうちに、小脳左半球の壊死部分が出血により当初の2倍以上に広がっていたのです。「会わせたい人がいたら、いまのうちに呼んでおいてください」と、担当の脳神経外科医から告げられたこの言葉に、嵐さんのマネージャーが戦慄したのはいうまでもありません。

「小脳梗塞に続き、26日の早朝から梗塞後出血を起こしたのです。そのため、ろれつが回らなくなり、頭痛や嘔吐などの新たな症状が出現し呼吸停止に陥った、と後日スタッフから聞きました」

嵐さんの緊急手術が始まったのは午後3時。まず後頭部の頭蓋骨をノコギリで切り開き、患部へアプローチ。速やかに出血を止め、小脳の壊死したところを注意深くメスで切り取らねばなりません。出血箇所がさらに広がれば死亡の危険性が高まるからです。加えて、不用意に周辺の脳神経細胞を傷つけると、重大な後遺症を招きかねません。頭に2本の管を挿入したまま患部を閉じ、手術を終えたのは夜の9時すぎ。6時間に及ぶ大手術だったのです。

びっくりしたのはノコギリで切り取った頭蓋骨の骨を、手術後に元の位置へ戻さなかったことと嵐さんは話します。

「『小脳のところは丈夫な筋肉で覆われていますから、骨を元の位置へ戻さなくても大丈夫なのです』と、先生は説明する一方で、『後ろ向きに転ばないでくださいね』ともいうので……、ちょっと怖かったよねぇ〜、ハッハッハッ」

実際、しばらくは小脳のところ(後頭部の下)を触るとグニュグニュしていたそうです。いまはしっかりとした筋肉が覆っているため、あまり心配しなくなったとのことです。

最初の発作はそれまで経験したことのない回転性のめまい

話を元へ戻しましょう。4月23日の最初の発作は、本当に突然のことでした。

「早朝、『とくダネ!』(フジテレビ)の小倉智昭さんの顔を横目で見ながら、ベッドから身体を起こした瞬間のことです。周囲がグルングルンと回り始めたのです。立っていることもできない、走馬灯のようなめまいでした」

いわゆる回転性のめまいに突如見舞われたのですが、翌朝には2回目(24日)の発作が襲います。受診した近所のクリニックの待合室で座っているとき、再び回転性のひどいめまいが生じ、しばらくベッドに寝かせてもらっていたのですが、具合がどんどん悪くなっていったそうで、タクシーを呼んでもらい、ほうほうの体(てい)で自宅へ戻ったといいます。

実は、最初の発作に襲われた23日のその日の夜、近所の行きつけの居酒屋でお酒を飲んでいた嵐さんは、たまたまそこに居合わせた日本医大武蔵小杉病院のベテラン医師(放射線科)から「回転性のめまいを軽視してはいけません。明日は土曜日ですが、土・日でも救急は開いているからうちの病院へ来てください。私がきちんと診てあげますから……」と貴重なアドバイスを受けていました。翌朝に近所のクリニックを受診したのも、日本医大武蔵小杉病院への紹介状を書いてもらうためだったのです。



嵐さんは、この医師との出会いを振り返り、自分は本当についていたといいます。「俺は強運の持ち主」と感じたこのひらめきは、実際に闘病生活をうかがっていると、実感させられます。

さて、クリニックからタクシーで帰宅したものの、ますます具合は悪くなるばかり。「もうこれはヤバイ!」状態であると、誰の目にも明らかになり、救急車を呼び、日本医大武蔵小杉病院へ緊急搬送されたのは夜の8時頃でした。

緊急手術後、早期リハビリがはじまった

病院では、ただちにCTなどの精密検査を行い、「小脳の左半球に梗塞を起こしています。手術になるかもしれません」と、嵐さんは告げられました。

不思議なことに医師からこう説明されたのは覚えているものの、それ以降、24日夜から手術後に目覚めた27日までの約3日間、嵐さんの記憶は一切ないそうです。その間、他のスタッフやご両親などが駆けつけ、言葉をかわしているのですが、嵐さんは何も覚えていません。

「手術後、頭へ入れた管を暴れてはずしてしまう、ということもしたらしい。そのせいで、気づいたときは両手両足を縛られていて、とても痛かったのを覚えていますよ」

小脳は複雑で敏速な手足の動きをはじめ、身体のバランスを保つはたらきなどの中枢機能を受けもっています。小脳の左半球に梗塞と梗塞後出血を招いた嵐さんは、右手と右足の動きが少しままならなくなりました。障害を残さないためにはリハビリが不可欠。手術後3日目から「歩行器を用いて歩くように」と医者から強く言われました。

「厳しい先生でね、『鬼のようなやつ』だと恨みました(笑)。でも、それが幸いして1ヵ月もしないうちに杖をついて歩けるようになり、社会復帰へ向けての自信がついたのは間違いないです」

箸で小豆を摘み、右から左へ移すリハビリも行いました。当初は右手がプルプルと震え、小豆を摘めない。

「しかし、毎日、繰り返し取り組んでいたら、ある日突然、出来たんです。これはもう感動もんでしたね」

嵐さんが退院したのは5月末。緊急手術から約1ヵ月で退院できたのも、厳しいリハビリに励み、後遺症を最小限に抑えられたからです。そして、このつらい状況を支えてくれたのは、ファンからの熱いメッセージだったといいます。全国のファンから手紙や千羽鶴が送られてきて、それが嵐さんの復活への誓いを固めたといいます。

普通の生活を送ることが最高のリハビリ

退院してからもリハビリに励んだのはいうまでもありませんが、

「俺はサボリ魔だから、ボチボチとやりました。なによりも『普通の生活を送るのが最高のリハビリになる』とアドバイスされたから、いまでもそれを実行しています」

確かに手術直後、出来なくなったことも少なくなかったといいます。たとえば、自宅の階段を1人でのぼれなくなったのは、たいへん困ったようです。また、歩くのも遅くなりました。歩けるけど、走れない。大きな横断歩道では、青信号に切り替わってから渡り始めても、向かいの歩道へ着く前に赤信号に切り替わってしまったとか……。でも、日を追うごとに一歩一歩確実に改善していったので、それが励みになったとのことです。

しかし、ドラマーの嵐さんがもっとも危惧したのは、シンバルなどを叩くためのスティックを持つ右手の動きと、バスドラムを叩くための右足の動きだったといいます。これらは、複雑な動きをしながら、パワーも求められる動作だからです。当初は右手の握力が弱くなり、スティックをポロポロ落としてしまうたびに涙がこぼれたそうです。

「ドラムは右手でリズムを刻み、それでリードしながら右足でテンポをキープするのが基本なんです。しかし、それが退院後、しばらくはとろくなってしまって……」

加えて、シンバルの「バッシャーン」という音が苦痛となりました。シンバルの強烈な音で、頭がギンギンとしてくるのです。
「歌を唄うときに音程をとるのがままならなくなりました。少し音痴になりました、ハッハッハッ」

しかし、サイレントドラム(周囲に音の漏れない練習用の電子ドラム)で、練習に明け暮れるなど、1つひとつ障害を克服していきました。これこそがドラマーとしての嵐さんの生活に即した「普通の生活を送るのが最高のリハビリ」だったのです。

脳梗塞の患者さんは俺の仲間、ぼちぼちとやっていこう!

嵐さんが手術後初めてファンの前に姿を見せたのは、1年後の2005年4月24日。『第9回嵐ちゃん祭り―嵐さん復活不死身ライブ』ででした。

「このときは1曲だけ歌いました。ファンの熱い思いを全身に受け、もの凄く励まされました」

翌06年6月9日の『横浜銀蝿結成25周年記念コンサート』では、1曲限定でドラムにも挑戦。「次に会うときはもっと頑張るんで、よろしく!」と呼びかけ、拍手喝采を浴びたのは記憶に新しいところです。いまやドラマーとして復活し、再びステージで活躍しています。

嵐さんは、横浜銀蝿のドラマーであると同時に嵐レコードの代表取締役でもあります。嵐さんのもとには、ミュージシャンや俳優、そしてスタッフが所属していますから、その人たちの生活も考えなくてはいけません。ですから、とにかく「再発しないこと!」を目標に、これまでしてこなかった健康管理、節制にも勤しんでいます。

現在の嵐さんは1日100本吸っていたタバコをすっぱりとやめ、食事も減塩醤油、減塩味噌などを用いたものにするなど健康に気をつけた生活を送っています。5sの減量にも成功し、血圧は130/70(mmHg)をキープし、持病の糖尿病も安定しています。

「俺は8年前に小脳梗塞で死んでいたかもしれません。だから、その後の人生はおまけです。元の身体に100パーセント戻れることはありませんが、それでも出来ることはまだまだ一杯あります。脳梗塞を起こした患者さんは、俺の仲間です。一緒にぼちぼちと普通の生活を送り、世の中にどんどん出ていきましょう


取材協力・写真提供/嵐 ヨシユキ氏(嵐レコード)

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