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脳梗塞コラム

第5回 ナレーター沼尾浩子さんの脳梗塞体験
      〜失った言葉を再び取り戻すまで

[2011.07.29.]

最初の異変。「左眼の奥のほうがズンと重く……」

TBSテレビ「ひるおび!」のナレーターとしても活躍中の沼尾浩子さんが、脳梗塞に倒れたのは2006年7月上旬のこと。そのとき沼尾さんは、まだ42歳という若さでした。

「最初の異変は、脳梗塞を発症する10日前の6月30日。宇都宮の実家へ向かって東北自動車道を走行中、都心を出てから40分くらいで急に左眼の奥のほうがズンと重くなったのです」
眼の異変に続いて、頭がボーッとして、鎧を着ているようにからだが重くなったそうです。急きょ、都賀西方(つがにしかた)パーキングに入り、車を停めると、あっという間に深い眠りに引き込まれました。

約30分後に目覚めた沼尾さんは、得体の知れない頭の重みを抱えながらも運転を再開し、なんとか実家へ到着しました。その日は午後8時に床へ就いたのですが、はっきりとした頭痛が現れ、その後は日を追うごとに体調が悪化していきました。

入院5日目の朝方、病室で意識を失う

ハンマーで叩きつけられるような左側頭部の痛みに我慢しきれず、沼尾さんが東京・新宿の脳神経クリニックを訪ねたのは7月6日。驚いたことにCT検査を受けた後、すぐに同区の総合病院へ行くように指示されました。

クリニックから紹介された病院ではさらに予想外のことが待っていました。MRI検査の後、いきなり1週間ほど入院するように告げられたのです。画像検査等では、沼尾さんに起こった頭痛の原因は確定できなかったのですが、そのときの顔色や表情などから異常な事態が起こっていると察知されたからです。

決定的なことが起こったのは、入院して5日目の7月10日の朝方でした。
「あ・た・ま……イタい……」
こう言ったきり、沼尾さんの意識は遠のいていきました。

MRI画像に映っていた直径約8pの紛れもない脳梗塞

実はこの時点でも、6月30日以来、沼尾さんを苦しめている頭痛や体調悪化の原因は突き止められていませんでした。くも膜下出血や海綿状血管腫(かいめんじょうけっかんしゅ)、ウイルス性脳炎などが疑われるものの、確定診断はくだされていなかったのです。

しかし、沼尾さんが気を失ってから3日後の7月13日に、驚くべきことが発見されました。直近のMRI画像に、直径8センチほどの特大サイズの脳梗塞が映しだされていたのです。

脳梗塞は突発的に起きるのが大きな特徴ですが、沼尾さんの場合は珍しいことに、徐々に発症していったと考えられています。10日のMRI画像では脳の表面に近い側頭葉の広範囲に腫れが見つかっていたそうですが、脳の血管は詰まっておらず血流も認められていたことから、主治医(脳神経外科)は、本当に脳梗塞なんだろうかと半信半疑だったそうです。

「病名が脳にとどまってくれない。すぐに忘れてしまう」

脳梗塞との診断がついた後、沼尾さんを最初に襲ったショックは、妹の恵美子さんが病気の説明をするためノートへ書いた文字の意味がまったくわからなかったことです。
「妹が書いているものが文字だというのはわかりました。しかし、その意味が解せないのです」

初めて聞く病名でもないのに、「脳梗塞」と病名を告げられても沼尾さんはピンとこなかったそうです。しかも、その病名は少しも脳にとどまってくれず、すぐに記憶から消えていってしまうのです。

恵美子さんの説明から、「リハビリのためにはノートに文字を書くのがよい」ということだけはかろうじて理解したものの、いざノートに文字を書き始めてみると、それは意味不明の言葉の連なりでした。

たとえば、
「きのうの夜から朝ご飯をもってきてくれた」
と、意味不明の文になってしまったり。
「退院をあせなかったり、言葉がわかなかったり……」
と、ナレーターという職業柄、正しい日本語をつかってきたのに、おかしな文法になってしまったり。

「飯田橋」と書いたつもりが「飯谷橋」、「代官山」と書いたつもりが「代宿山」になるなど、似ている音や似ている形の文字を混同するようになっていたのです。

脳梗塞による言語中枢へのダメージから「失語症」を発症

さらに沼尾さんの驚きは続きます。見舞いにきてくれた妹さんたちが話していることが、さっぱりわからないというのです。
「まるで外国語で話しているかのようでした。しかも、英語など聞き覚えのある外国語ではなく、ロシア語やフィンランド語など普段まったく縁のない言語圏に、独り迷い込んだような感じでした」

ゆっくり話しかけられると、理解できる言葉もある一方、じっくり聞いてもわからない言葉もありました。おまけに自分の名前がいえない。固有名詞が思い出せない。思っていることがうまく伝えられない。もちろんメールも打てない。テレビドラマを観ていても、内容がちっともわからない。

このとき、沼尾さんは脳梗塞によって脳の言語中枢にダメージが加わり、「失語症」を発症させていたのです。

失語症とは、自分の思っていることをうまく言葉に置き換えて話したり書いたりすることができなかったり、あるいは言葉というかたちで伝達された内容を聞いたり読んだりしても理解できないという言語障害です。

「事、ここに至って、私はようやく自分の身に起こったことの重大さに気がつきました。ナレーターにとって言語中枢に障害があり、失語症を招いていることは大きな痛手ですから」

朝、病院のベッドに目覚めると、得体の知れない不安が沼尾さんの胸を締め付けたそうです。病室の窓の鍵をはずし、一歩、空に踏み出したら、苦しい現実から解放されるかもしれない。そのほうがどんなに楽だろう、と思いつめたといいます。

そんな沼尾さんを死の誘惑から救い出したのは、夫君をはじめ、ご両親や妹さん一家など家族のあたたかな励ましと強力な支えでした。

脳梗塞の発症から9日目には、言語聴覚士の指導で失語症に対するリハビリが始まりました。沼尾さんが熱意をもって取り組んだことはいうまでもありません。また、「話す」ことがプロである沼尾さんのために、リハビリは当初からやや高度な内容になっていました。しかし、このリハビリ内容の変更が沼尾さんのやる気を引き出したのです。

沼尾さんの失語症の程度は、時間をかければ他人の助けを借りなくても、コミュニケーションがとれる状態でした。回復の要因としては、リハビリの早期開始や本人の頑張り、社交的な性格などもプラスしていたと、沼尾さんを担当した言語聴覚士の方は語っています。

退院後の生活、現実を見つめる感情の揺れ

沼尾さんが病院を退院したのは7月末、26日間で入院生活を切りあげることができました。

早期の退院は、沼尾さんの強い希望からです。しかし、このとき主治医は退院の条件に次のふたつのことを提示しました。

1.水をたくさん飲むこと
2.しばらくは自宅ではなく実家に戻って生活すること

体内の水分量が減ると、血の流れが悪くなり、脳梗塞の発症のリスクになることは周知のことですが、沼尾さんは、もともと積極的に水分を摂取するほうではありませんでした。「喉が渇いた! 水が飲みたーい!」と切実に感じたこともなかったといいます。あとになってみると、水をあまり飲まなかったのが脳梗塞の原因の一つかもと沼尾さんは考えているそうです。

もうひとつの条件「実家で生活すること」は、あまりがんばりすぎないようにとの医師の配慮です。自宅に帰れば、食事や家事など、病後であってもがんばってしまうものですから。

医師の出した条件を守り、退院後の沼尾さんは実家に帰りました。夫、両親、妹さんたち、みんな沼尾さんのからだを心配してくれます。患者である沼尾さんもそんな家族の愛情を受け止め、心配をかけないように静養しリハビリをしました。

沼尾さんには、構音障害や身体のマヒはありませんでした。ただ、言語の理解がすこしこんがらがる失語症があるだけです。気心の知れた家族や友人のなかで生活をするのでしたら、とくに問題なく生活ができそうな程度まで回復しました。しかし、ナレーターという言葉に意味を込め、発声することが求められる仕事には、「失語症」という後遺症は高いハードルでした。

誇りをもってやってきた仕事ですから、中途半端な回復では仕事復帰はできません。よしんば周囲の人が「それで十分だよ」といったにしても、だれよりも自分に厳しく仕事をしてきた沼尾さん本人はうべなえるはずもありません。ですから、悩みました。深く悩みました。

一時は、ナレーターの仕事を辞めようと思ったといいます。一心にかけてきた大好きな仕事をあきらめるのには、相当の葛藤があったかと思います。結果的には、無事仕事に復帰することになりますが、この間の沼尾さんの心の揺れは相当に大きく激しいものだったと思われます。

失くした言葉が取り戻せた

その後、自宅リハビリなどを経て、沼尾さんがナレーションの現場に復帰したのはその年の10月でした。復帰後の初仕事はTBS放送センター14階のスタジオで行われたCMのナレーションです。

「アナウンス・ブースのマイクの前に座り、『はい、よろしくお願いします』とディレクターに応えた瞬間、それまで激しさを増していた胸のドキドキがピタッと止まりました。『私は自分の場所に戻ってきた──』と確信したのはそのときです」

沼尾さんが早期に社会復帰できたのは、脳梗塞の発症直後から適切な治療を受けられたことが最大の要因です。なによりも病院に入院中に、発症したことが不幸中の幸いだったともいえるでしょう。

沼尾さんは、適切な治療を受け、家族の愛情に包まれながらリハビリ生活を送り、仕事に復帰することもできましたが、やはり実際に脳梗塞を体験したことのない家族には伝えにくい、いらだちや落胆など微妙な感情が湧きあがり、ときには孤独を感じることもあったそうです。

そんな体験から沼尾さんは「脳梗塞患者と家族のための精神的自立支援ネットワーク 失くした言葉を取り戻す会」というものを設立し、代表を務めています。同じ体験をしたもの同士、苦しみを分かち合い、悩みを共有し、応援し合う場を目指しています。そこからは、「ひとりじゃないよ」という沼尾さんの声が聞こえてきます。

そこで沼尾さんは朗読講座を開講しています。「話す」「語る」「伝える」ことの喜びをもう一度取り戻してほしいという思いではじまった講座は、サロンのような穏やかな雰囲気のもと行われるそうです。また、ほかにも椅子に座りながらできるフラダンスの講座もあるそうです。フラのゆったりしたリズムに合わせて手を動かすのは、麻痺へのリハビリにも心のリハビリにもなりそうです。

跡形もなく消えていた約8センチの脳梗塞の白い影

脳梗塞で血管が詰まると、詰まったところから先の脳細胞に血液が届かず、壊死が広がっていきます。壊死した脳細胞はもはや生き返りませんが、瀕死の状態の脳細胞はまだ助かる可能性があります。この瀕死の状態を医学用語で「ペナンブラ」といいます。ペナンブラの脳細胞をいかにして救うのかが、発症後の最大の焦点となります。

沼尾さんの場合、入院中に脳梗塞を発症したため、ただちに治療をすることができ、ペナンブラ領域の多くの脳細胞が救われたのです。

「本当に不思議なんですが、事実、退院後に撮ったMRI画像には、発症直後のMRI画像に映っていた白い影(約8センチの脳梗塞)が跡形もなく消えていたのです」

MRI画像には壊死した脳細胞も、瀕死の状態の脳細胞(ペナンブラ)も同じように白く映ります。沼尾さんの白い影のほとんどは、瀕死の状態の脳細胞だったのです。そのため速やかに適切な治療が行われたことによって、壊死が食い止められ、早期の社会復帰も可能になったのではないでしょうか。もちろん、ご本人の努力や前向きな生き方などが原動力となったことはいうまでもありません。

■参考資料:『奇跡 失くした言葉が取り戻せた!』(沼尾浩子著、講談社)

■脳梗塞患者と家族のための精神的自立支援ネットワーク
失くした言葉を取り戻す会
http://www.axisdo.co.jp/nokosoku/index.html


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