• FASTとは
  • F
  • A
  • S
  • T
  • FAST

脳梗塞コラム

第4回 不世出の横綱・大鵬幸喜さんの脳梗塞体験

[2010.05.26.]

※大鵬幸喜氏は、2013年1月19日ご逝去されました。謹んで、ご冥福をお祈りいたします。

人間は死ぬまで自分との闘い。一生、努力。一生、勉強
大鵬親方はリハビリでも努力の人、人生でも大横綱

相撲界初の文化功労者に。70歳のいまも旺盛な活力



「昭和の大横綱」として幕内最多優勝32回の金字塔を打ち立てた大鵬親方(本名:納谷幸喜さん)が、相撲界で初めてとなる文化功労者に選ばれたのは昨年(2009年)のこと。今年5月には70歳を迎えるというが、旺盛な活力は衰えることを知らない。

実は、36歳のときに脳梗塞に倒れた大鵬親方の後半生は、左半身麻痺と格闘する日々の連続だったといえます。

「人間は死ぬまで自分との闘い。一生、努力、一生、勉強だ」
このように語る大鵬親方の言葉、そして生き方は常に前向きです。

稽古に稽古を重ねて相撲界の頂点に立った男は、脳梗塞との闘いにおいてもリハビリという地道な努力の積み重ねで人生の頂点を極めようとしているのです。

冬の早朝、目の前が真っ暗に・・・「脳にきたな」

大鵬親方が脳梗塞の発作に見舞われたのは1977年2月22日、36歳のときでした。第48代横綱を引退し、大鵬部屋を創設してから6年目、日々弟子の指導に明け暮れていました。

「北海道へ新弟子を迎えに行く日の朝のことです。午前6時半頃に目を覚まし、顔を洗おうと洗面所に立ったのですが」




しかし、なぜか、からだが重い。寝室に戻り、三女の土産にと買ってきた風鈴を柱にかけようとしましたが、手が定まりません。目の前が真っ暗になり、崩れるように子どもの布団に倒れこみました。

「『脳にきたな』と直感しました。その3年前に高血圧だった母親(キヨさん)が脳出血で亡くなっていたので、『自分もか……』と思ったのです」

「脳血栓」と診断。左半身に麻痺が残った

大鵬親方が倒れたのは土曜日のことでした。入院先の病院がなかなか決まらずに、自宅で横になっていたところ麻痺がどんどん進んでいったといいます。

「寝返りを打ったときに、何かボッーンと破裂したような感じがしました」
からだの上に重たく太いものがあり、どけてもらおうとしたところ、それが自分の左腕だったというのです。

慶應義塾大学附属病院へ入院したのは週明けの月曜日、発作から2日も経ってのことです。当時は「発症直後の急性期治療を重視する」という考え方は今ほど浸透していませんでした。

入院した大鵬親方に下された診断は、脳の細い血管が詰まる「脳血栓」。血圧は収縮期血圧(最高血圧)が238oHg、拡張期血圧(最低血圧)が140oHgまで上っていました。入院後行われた薬による治療が効を奏したものの、左半身に麻痺が残ってしまいました。

前兆はあった。だが、健康への過信が落とし穴に

もともと大鵬親方は若いころから本態性高血圧と診断されていました。現役時代も、1964年の名古屋場所を本態性高血圧で休場しています。向かうところ敵なし、と思われていた24歳の若き横綱に土をつけたのは高血圧という病でした。そのとき親方の収縮期血圧は200oHgを超えていました。

「倒れる前の年にも前兆はありました。北海道の釧路で食事をしていたところ、急に頭が痛くなって鼻水が出たのです。頭痛薬を飲んだのですが、ろれつも回らなくなりました。ただ、2〜3分で治まったので軽視してしまったのです」




発作の前日も変調を感じていました。川崎のほうで酒席にいたのですが、まったくお酒を飲みたくなかった、といいます。

たしかに脳梗塞の発作の前兆はありました。しかし、だれにも負けない「丈夫なからだ」であるとの過信と辛抱強い性格が、前兆を見逃す隙をつくってしまったのです。

だれもが認めるリハビリ模範生

大鵬親方がリハビリを始めたのは、慶應義塾大学附属病院へ入院してから1週間目のことです。脳の知覚部分を損傷したため、自分の手がどこにあるのか感覚がなく、その位置を目で確認しないとわからないといった状況でした。

「初めは立つのも苦労しました。這うことから始めました」。他人がいないときに病室から廊下へ這い出て、懸命にリハビリに励んだといいます。
「病院の階段の上り下りも、何度も繰り返しました」。大鵬親方のその必死な姿を見た主治医はもちろん、病院関係者のだれもがリハビリ模範生と認めたそうです。

大横綱として一世を風靡した大鵬親方がリハビリを行っていれば、多くの人の注目を集めます。なかには、笑いながら見ている人もいたそうです。しかし、そんなときも親方は「かっこわるいと思われてもいい。元の自分に戻りたいんだ」という一念でリハビリに励んでいたといいます。




入院から2ヵ月後、退院した大鵬親方はさらに激しいリハビリを自らに課しました。

「自宅の近くの公園でボールをつかむ練習や、バトミントンなどあらゆることをリハビリとして試みました」

その甲斐もあって3年目には立ち上がるコツや、つまずかずに歩くコツなどを会得しました。悪いなりにも左半身を動かせるようになりました。そして、日本相撲協会の理事職を16年間務めたことは皆さんご存じの通りです。

「相撲は単なるスポーツではない。原点に戻れ」

大鵬親方が両国国技館で還暦土俵入りを行ったのは2000年のことです。還暦土俵入りとは、横綱を務めた元力士が還暦を迎えた際に長寿祝いとして行うものです。このときの露払いには元横綱・千代の富士(現:九重親方)、太刀持ちには元横綱・北の湖(現:北の湖親方)という、こちらも名横綱として名を馳せた二人を従えての土俵入りでした。1971年の引退相撲から29年ぶりの横綱大鵬の土俵入りに、大勢の相撲ファンが熱い声援を送ったのは当然のことでしょう。

2005年に日本相撲協会を定年退職し、2008年には相撲博物館の館長の職も辞しましたが、大鵬親方の相撲への熱い思いはいまも変わりありません。

「相撲は本来、祭祀として行われていました。神様に豊作を願い感謝する神事です。このような文化を知らずに相撲を単なるスポーツと思い、娯楽性ばかりを追っていては本質を見失うことになります。改めて原点に帰る姿勢を貫く覚悟が必要です」

もちろん、現在も毎日のリハビリを欠かすことはありません。リハビリに真摯に取り組む姿勢は、まさに相撲道に通じるものであり、横綱として生きてきた大鵬親方の生きざまなのでしょう。

取材日:2010年2月15日
取材協力・写真提供:大鵬企画 http://www.taiho-yokozuna.com/index.html

参考資料:『巨人、大鵬、卵焼きー私の履歴書』(大鵬幸喜著、日本経済新聞社)、『大鵬親方の闘い』(読売新聞医療ルネッサンス2002年1月8日〜12日)


コラムの目次へ