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脳梗塞コラム

第2回 脳梗塞で倒れたけれど、精神に衰えなし
      直木賞作家・野坂昭如のリハビリ・ダンディ

[2009.05.18.]

※野坂昭如氏は、2015年12月9日ご逝去されました。謹んで、ご冥福をお祈りいたします。

「また朝から酔っぱらっているのね」

焼跡闇市派を自称する作家の野坂昭如氏が東京・杉並の自宅で脳梗塞に倒れたのは2003年5月26日、72歳のときでした。午前8時すぎに朝帰りをした野坂氏は、玄関から書斎に通じる廊下を壁にぶつかりながらヨロヨロと歩いていたとのことです。
「また朝から酔っぱらっているのね」
こう思った妻の暘子(ようこ)さんが声をかけたところ、「ア〜」とか「ウン」とか要領を得ない。これはただごとではないと直感し大学病院の主治医に電話したところ、「いますぐ連れてきなさい」と指示されました。
急ぎ暘子さんの運転するクルマで病院に着いたときには、もう足元がおぼつかない状態に。自宅を出るときは病院へ行くため自ら服を着替え、靴を履きクルマに乗りこんだのに、ほんの少しの間に自力で歩けない状態へと急変していたのです。車椅子で診察室に入った野坂氏は医師の顔を見たとたんに意識を失ってしまいました。
診断の結果は脳梗塞の一種である心原性脳塞栓症。心臓に生じた血の塊が左の脳へ飛び、脳動脈を詰まらせてしまったのです。

水道の蛇口もネジもなんでもひねってしまう……?

翌朝、野坂氏は集中治療室で意識を取り戻しました。しかし、その表情はぼんやりとして、何が起こったのか、理解しかねている様子だったといいます。
野坂氏は左脳の動脈を詰まらせたことから、後遺症として右半身に片麻痺が残りました。加えて、発声の際、喉の奥へ舌を巻きこむため詰まったような声となり、左眼のまぶたは下がり気味に。さらには食べ物をうまく飲みこむことが困難になる嚥下障害も生じていました。
不思議なことは水栓金具のツマミなど「手でひねるもの」に野坂氏が異常な興味を持つようになったこと。洗面所やトイレの水栓から小さなネジに至るまで、手でひねられるものを見つけると、ひねったりいじったりしないことには気がすまなくなったそうです。
なぜ、そのようなところに興味を持つのか不思議で仕方がないのですが、「わかるわけないでしょ。理由なんてこちらが聞きたい」と当の本人は申しているそうです。

脳梗塞で倒れた前後のことはまったく覚えていない

野坂氏に対する早期リハビリテーションは発症後2、3日目からスタートしました。ベッドの上で上半身を起こしたり、ベッドの端に座ったりする訓練から始まり、1週間もするとリハビリ室での本格的なリハビリとなりました。
適切な治療のおかげで左脳の詰まった箇所も広がらず、容態も安定し非常によい経過をたどりました。その結果、2週間で大学病院を退院し、リハビリテーションのための回復期専門病院へと転院することができたのです。
実は、野坂氏は脳梗塞で倒れた前後のことをまったく覚えていません。朝帰りして倒れるまでどこで一晩過ごしたのか、当日の朝はどうやって自宅に帰ってきたのか、まるで記憶がないそうです。メモをいっぱい書き込んでいた手帳などを入れた愛用のバッグごと、その日を境に見当たらなくなりました。


「病気になる前とちっとも変わっていない」

リハビリ病院へ転院した野坂氏は、朝9時から夕方までみっちりとリハビリを受けることになりました。マシンを使っての運動療法はもとより、1つひとつ小さなビーズをつないでゆく作業療法、言語聴覚士による言語訓練など。
そんなある日、「病気になる前とちっとも変わっていない」と暘子さんを喜ばせたのは言語聴覚士による言語訓練をしていたときです。
「野原に大きな木があります。その大きな木の下で、野坂さんだったら何をするでしょうか」
言語訓練の一環として言語聴覚士から投げかけられた質問に、
「×××××」と、記すのもはばかれるほどの卑猥な単語を発したとか。
言語聴覚士のその後の質問にも卑猥な言葉を連発する野坂氏を見て、「さすが野坂昭如サン!」と、暘子さんは吹き出しそうになるのを必死で我慢したそうです。

要介護度「3」だからこそ、立ち上がり動作を1日100回

発症後半年くらいたったとき、
「『どうしても帰る』とおっしゃって困っています」
と病院から電話がかかってきました。
本来は、もう少し機能回復してから退院したほうがいいのかもしれませんが、
「リハビリは一生続く。ならば、リハビリ室ではなく書斎に座らせよう」
という暘子さんの決断のもと、野坂氏は自宅に戻ることになりました。
退院後は介護保険を利用して新たな生活が始まりました。野坂氏の要介護度は「3」。週2回、ヘルパーさんに来てもらうようになり、リハビリに関しては自宅でも行った上で、週3日は施設に通って続けていきました。
野坂氏のリハビリメニューの1つに、椅子に座って立ちあがる動作を1日に合計100回繰り返すというものがあります。麻痺のある身体で行うのはなかなか大変で、次第に息が荒くなっていきます。しかし、鬼軍曹の暘子さんの号令下に、野坂二等兵は繰り返し行ったとのことです。
あのとき、暘子さんの決断で退院をしなかったら、野坂氏の闘病意欲は萎えてしまったかもしれません。

野坂流ダンディズムと美学を貫くと

脳梗塞で倒れたけれど、精神に衰えなし直木賞作家・野坂昭如のリハビリ・ダンディ

野坂氏は脳梗塞に倒れた翌年(2004年)の2月から、少しずつ仕事を再開していきました。発音に不明瞭なところがあるものの、頭の中はきわめてクリアなのですから、物書きとしては当然のことだったのかもしれませんが、やはりすごい作家魂です。
原稿は暘子さんが口述筆記をしました。その後、永六輔さんのラジオ番組『土曜ワイドラジオTOKYO 永六輔その新世界』(TBS)で「野坂昭如さんからの手紙」というコーナーを担当したり、『野荒れ ノアーレ』(野坂昭如・荒木経惟・黒田征太郎著/講談社)を刊行したりするなど意欲的に仕事を続けています。
確かに脳梗塞発症後も、右手の骨折、誤嚥性肺炎、尿路感染症による発熱で入院など数多くの困難な事態に遭遇しました。しかし、暘子さんにいわせると、いまの2人の生活はかつてないほど健やかな日々なんだそうです。
「78歳になった野坂は体重59s、身長170p、けっこういいカラダだと思っている。……いまの彼の身体は清潔、内臓もしかり。顔色や肌のツヤもとてもいい。年齢のわりにシワも少ないと見た」
とのことです。
なによりも精神に衰えがないのですから、人目を意識すると背筋はピシッと伸び、表情も引き締まるそうです。それでこそ野坂昭如氏! 彼が追求し続けたダンディズムと美学の真骨頂といえるでしょう。

野坂暘子さんが書かれた『リハビリ・ダンディ』〈中央公論新社〉は、野坂氏が脳梗塞に倒れてから今日までの経過や二人の生き方、生活スタイルなどが詳述されています。もちろん具体的な食事の献立やリハビリメニューも記載されていて、同じ病気で闘病中の患者さんやそのご家族にとって貴重な示唆に富んだ1冊と思われます。


参考資料:出典『リハビリ・ダンディ──野坂昭如と私 介護の二千日』(野坂暘子著、中央公論新社)

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